1969年6月頃から、転職を考え始めたのである。現在の会社にいても自分の希望であり、 | |
夢である回路設計という仕事には就けそうにないと感じたからである。そして、将来自分が |
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より大きく羽ばたくことが出来、海外勤務の可能性をも与えてくれる会社をイメージして転職 | |
する会社を探したのである。そして、三洋電機を受験、合格したのである。 | |
1969年10月11日三洋電機へ転職入社。1975年6月迄は、印刷抵抗基板の開発と | |
いう仕事に従事した。印刷抵抗基板の開発が終わると事業を協力会社へ移管した。 | |
そして、1975年7月より希望していた回路設計という仕事に就いたのである。 | |
回路設計としては、ラジカセのチューナ部の設計から始まり、ラジオ、時計付きラジオ、 | |
留守番電話機、ボタン電話システム、一般電話機、コードレス電話機、携帯電話機、 |
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等々にジャンルは広がって行ったのである。特に、海外向けの電話機をやり始めた頃から | |
海外の電話規格の取得が必要であり、海外出張が増え始めたのである。そして、ついに | |
海外の工場でも電話機の生産を始める事になり、シンガポール工場へ駐在することに | |
なったのである。1997年〜2006年までの10年間駐在したのである。 |